すべてを捨て去る準備はできた

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くだらないものが増えすぎてがまんができなくなったので、少し早い大掃除をしました。そしてこれを期に、旧世代的産物は捨て去ることにしました。仕事の環境も製品も生活も大幅にアップグレードする準備を進めています。変化の中で自分の感性を磨き上げるために、すべてを見つめ直すことにしたのがきっかけです。

本当に必要なもの以外のすべてのものを捨てることができるかどうか。これは自分との戦いでもあります。戦い抜いた後、最も捨てなければならなかったものを捨てることができると信じています。

なぜ捨てるのか

意識していないつもりでも、そこにゴミがあるかぎり脳はそれを認識しています。視界から、脳内から、余計な物は捨て去ることによって、創造性が発揮される余地が生まれます。何も無い空間に自分がいると感じるぐらいに、ノイズをカットすることが目的です。
また、フットワークを軽くすることも重要な目的です。ものがあるために動けない、必要なものが手元にないなど、そんな状況とは決別できるはずだと信じています。

世の中には大切なものとゴミの二種類しか存在しない。こうやって文章にしてようやく気づきましたが、自分がよく口にしていた言葉です。頭で分かっているつもりでも、まだゴミを認識出来ていなかったということです。

自分は昔から、ものを大切にする人でした。正確には、ものを大切にする人だとよく言われます。自分ではその認識が全く無かったのですが、思い起こせばいまの Boblbe-e バッグは9年目に入るのにまだ新品のようだと言われますし、Mac や iPhone などはいつも買ったばかりなのかと聞かれます。理由は単純で、自分がすばらしいと思ったものは絶対に傷つけたくないし、そもそもそこまで大切ではないものは持とうと思えないから、持っていないだけなのです。

だからこその弊害が一つ。ものを捨てられなかったのです。そのせいで自宅にもオフィスにも、保管場所という名のゴミ置き場が存在しました。いまが決別の時です。ゴミ置き場に集められている時点で、それはすでに寿命の尽きたものなのです。それを認識し、行動に移すべき時が来ました。

どのようなルールに従って捨てるのか

はじめに、今後の取捨選択の基準となる3つのルールを設定しました。

  1. 持っているものを可能な限り捨てる
  2. たとえ必要でも最高だと認めるもの以外は買わない
  3. デジタルコンテンツは積極的に消費する

1. 持っているものを可能な限り捨てる

現在順調に実行中です。迷ったら捨てる。外で仕事をするときのセットさえあれば困らないことは証明済みです。

デジタル化できるものは、デジタル化して捨てます。まずは本棚にある本をすべてデジタル化<自炊>して、本を捨てます。正直なところ、もう本を開くのが恥ずかしい行為だと感じています。別に<紙の>本を否定するつもりはありませんが、自分はもうあの非効率な媒体に触れるのが嫌で仕方ないのです。だから、自炊して捨てることにしました。

紙の資料なども不要。すべてデジタル化します。Mac の中身もすでにほとんどのデータが Dropbox や Evernote をはじめとするクラウドサービスに移動済みです。準備は万端。あとは非デジタルな資料のみです。

例外的に捨てないことを決めているのは、自分がコレクションとして保管している過去のデジタルガジェットです。Macintosh や初代ゲームボーイなど、自分にとっては博物館入りのガジェットに限り、保管して展示します。

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次は本棚に着手

2. たとえ必要でも最高だと認めるもの以外は買わない

これはすでに昔からの習慣となっていますが、これまで以上に注意深くなり、いらないものを買わないようにします。

思い起こせば、ズボンは小学生の頃からいまにいたるまで、Levis’ のいくつかの限られたモデルを履き続けていますし、靴もここ数年は Nike の特定のモデルです。昔から指名買いが多かったので、日用品から食べ物に到るまで、選択肢は必然的に限られていました。

それに加え、今後何かを買うときは、これまで以上に慎重に選んでいきます。

3. デジタルコンテンツは積極的に消費する

デジタルコンテンツだけは、むしろ消費を加速します。でも、逆にデジタルデータで手に入らないものは買いません。たとえどれだけすばらしいものでも、それがデジタルデータとして手に入らないのであれば、それはもう必要無いものです。何とかしてデジタル化する手段があるものは良いですが、そうでないものは存在しないものとして無視します。

物理的にスペースを必要としないデジタルコンテンツは、可能なかぎり大量消費をして、合わなければすぐに捨てて次へ行きます。もったいないなんて言葉がない世界なので、遠慮は不要。

自分が本当に捨てなければならないもの

時代遅れのもの、それに執着した古臭い考え方、自分の習慣を変えることが出来ず新しいものを拒む愚かな判断。そして、目の前のものに満足して未来を見ることが出来なくなる、死にも等しい常識という病。放っておけば、生物としての現状を維持する本能が、それらを呼び寄せます。

それらを捨て去ることは難しくても、ものを捨てて手に入れた余白を活かして、常に新鮮な空気を取り込もうと思うのです。

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