[ARMS] エグリゴリの卓越したビジョン駆動の企業経営戦略とその失敗の原因

ARMS
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注意: ネタバレ要素ありです。物語の自分的理解の範囲における本質的な部分は避けているつもり。

最近ふと思い出したことがあります。エグリゴリは非常によくできた企業である、ということ。

エグリゴリとは、ARMS に登場する架空の組織です。表向きには軍事企業ですが、その裏ではなにやら良からぬ陰謀を企てています。そんなエグリゴリのどこがすごいかというと、明確なビジョンがあり、あらゆる行動がその達成に向けて噛み合っているところです。

ちなみにここで挙げるエグリゴリとは、一人の少女の謀反をきっかけにして歯車が狂い、本来のビジョンとは違うビジョンへと変わってしまう以前のエグリゴリを中心にしています。幹部以外の人間にとっては、いまも昔も変わらぬビジョンだと思いますが、厳密には異なっているのでそこは抜きにして考えています。

エグリゴリの純粋で明確なビジョン

  • 「ヒトという種の人工的進化」

これがエグリゴリのビジョンです。

未知なる金属鉱物アザゼルを前にして、オスカー・ブレンチがアル・ボーエンにエグリゴリの目的を説明する場面からの引用。

旧原子力委員会の科学者は、”核の時代”を迎えた人類に対して二つのシナリオを提出している。
進化か・・・
滅亡か・・・
だが、このギャローズ・ベルで”アザゼル”を目撃した科学者は、米政府に第三のシナリオを提出したんだ・・・
“ヒト”という種の”人工的進化”という内容のシナリオをね。

この壮大かつ明確なビジョンを土台とし、数々の事業部門(非人道的人体実験)を展開しています。

  • サイボーグ
  • 人工天才児
  • 超能力者
  • 強化人間

そしてそれらのデータを元にシリコン生命との融合を果たし、人類が生命の実をも手にすることを目指します。エグリゴリ、そしてアザゼルという堕天使の名が示す通り、まさに神への反逆。

だがそれを忘れても組織は動く

おもしろいのはここからで、その崇高なビジョンなど末端の実験体にとってはどうでもいいという点です。それでもエグリゴリは力をつけていきます。ここにエグリゴリの強さの秘訣を垣間見ました。

それぞれの部門としては、自分達の部門を通してビジョンを達成することを考えていますが、末端の実験体達はそんな組織としてのビジョンなどおかまいなしに、個人的な事情で立ち上がります。
ですが、それがすべてうまく噛み合い、組織としても前へ進んでいく。そうなるように、考えて配置されているのです。

ARMS 適格者を研究するために造り出されたサイボーグ達、天才児達、超能力者達、強化人間達。彼ら彼女らは、その本来の役目を果たすと同時に自分達が ARMS というコア事業のための布石にすぎないと知り、自らの存在意義をかけて ARMS に戦いを挑みます。それによって ARMS は覚醒し、それがヒトという種の人工的進化への道を示すのです。要するに、次のような流れです。

  1. ARMS 適格者を生み出すためにあらゆる人体実験を行う
  2. その結果さまざまな進化過程の人間が生まれる
  3. 上記の実験データを元に ARMS 適格者を生み出す
  4. 2 で生まれた実験体が ARMS 適格者に「生きる意義」をかけて戦いを挑む
  5. 4 の結果ARMS 適格者が覚醒してコア事業 ARMS が結果を出し始める

良い、悪いという基準を抜きにしてみれば、あらゆるリソースに無駄がない、完璧なシナリオです。

組織の誰もが極めて個人的な事情によって、自分自身の利益のために組織を利用し、全力を尽くす。しかしそのすべての行動が、組織をより強固なものにし、ビジョン達成への礎となる。このようなビジョンを中心とした戦略の構築方法は、実に合理的です。

エグリゴリの問題点

そんなエグリゴリの崇高なビジョンも、一人の少女の謀反によって崩壊へと向かうわけですが、詳しくは本編を読んでください。崩壊に向かった原因。それがエグリゴリに足りなかったもの、問題点です。

個人的な欲求が組織のビジョンにリンクするように配置されている点はすばらしいし、その「欲求」が本能的レベルのものである点もすばらしいです。
※本能的レベルの欲求についてはのだめカンタービレに学ぶ目標達成の秘訣を参照。

ただ、それがプラスの方向の「欲求」では無かった。それが最大の問題です。加えて、利益を享受できる人間が限られていたことも問題です。情報封鎖が徹底している独裁的組織になら可能なことかもしれませんが、現代の情報化社会に合ったオープンな社風との共存ができませんし、なにより、ビジョンを達成しても参加者の誰ひとり幸せにしません。参加者を幸せにしない組織は、敵を増やすと同時に内部から崩壊します。
※変更後の真のビジョンについては本編参照。

エグリゴリは何を改善すべきだったのか

非人道的な実験をしている時点で多くの人を不幸にしているわけですが、せめてその成果をもってビジョンの達成を目指すのであれば、各部門にとってのプラスとなる目標設定をすべきでした。それも目標という生ぬるいレベルの物ではなく、本能的レベルの欲求に訴えかける目標です。

進化の行き詰まりを見せた存在をさらにその先へと導くという、その想定外で力強いビジョンは、見る人に衝撃を与えるものです。ですがそれを実行している組織が幸せでない限り、幸せな結果は生み出せません。
エグリゴリのスケールの違うビジョンの大きさと、その必要性、実現可能性に感銘を受けるとともに、自分には何が出来るのかをふと考えました。

KY力

スルー力以上にいまの自分に求められているもの。それは KY力だと思う。もっともっと、空気を読めないやつになることが、いまの自分には必要です。

そもそも KY という言葉で空気を読めない人を問題視することに、僕は疑問を感じています。空気を読めない、読まないのは、すばらしいことだと信じているからです。

日本社会全体、あるいは 2ch やはてなを代表とする日本のインターネットコミュニティーにおいて、良い意味でも悪い意味でも存在するこの空気というものは、新たなイノベーションを生み出す糧にはならないと、僕は思います。

中には空気を読めずに周りに迷惑をかける人がいて、そんな人に対する戒めの言葉として KY という言葉が登場したのだとは思いますが、いまはその言葉の広がりと共に、KY であることが問題であるという認識が広がり、いかに空気を読み、KY と呼ばれないかを意識する風潮があるように、僕自身は感じています。

空気を読んでいる状態からは、何も生まれません。みんなが空気を読んで、異端児がいない状態なんて、閉鎖された窮屈な空間です。みんなが流行をおかけ、人と同じ格好をし、同じ物を好み、同じものを目指す。そこから外れた者は KY と呼ばれ、認められない。中学生時代、高校生時代に僕が感じていた違和感は、KY になるまいとする個人の意識とその結果全体として造り出されるあたりさわりのない平和さにあったのかもしれません。KY では無い大多数は、個性的でも何でもなく、魅力のないただ大きいだけの塊でしか無いと思います。

高校時代、個性的なファッションをする英語の先生がいました。女性です。年齢の割に若い格好、というか、コスプレに近いような格好をする先生でした。日頃から学校内でも英語をしゃべり、他の先生からも笑われているような状態でした。そんな先生を見ていてあるとき気づいたのです。日頃あれだけ自分たちの個性を認めて欲しいと、校則や暗黙のルールに対して攻撃をしている生徒達も、結局は人の個性を認めず、笑いものにしているのではないかと。

あの先生は確かに KY でした。ただ、すばらしい KY でした。そこまでして自分の生きたいように生きる。その姿勢は、何も恥ずべき事ではありません。むしろ僕は、その姿勢から学んだと思っています。

僕自身はどうかというと、自分で言うのもおかしな話ですが、どうやらものすごく空気が読めているらしいです。仲間で集まっているときや、社内において。その能力は時にバランサーとして全体の人間関係をよくするために役立ったり、みんなに好かれたりして僕自身の日々の生活にも潤いを与えてくれました。みんな仲良く、楽しい世界です。

でも、それは僕が真に求めているものなんだろうか。

空気を読んでいたのは、誰にも嫌われないため。みんなから好かれるため。自分のプライドを守るため。空気を読まない人になるのが、怖かっただけではないだろうか。

結局の所、僕がやろうとしている事はベンチャー企業としての無謀な挑戦であり、想像を絶するスピード感の中でただ目的達成のために勢いよく前進していくという、わがままなで欲望に満ちた傲慢すぎる生き方です。ただただ平和な日常をエンジョイしたいのではありません。そんな人が、空気なんか読んでいては何も生み出せない。

空気を読んでいる僕は、逆の見方をすれば、何も尖ったところのない、平凡な人物です。客観的に見て、自分はそんな人に魅力を感じるだろうか。否、断じて否。チームの構成員として、友達の1人として、全体に有益なメリットをもたらす人ではあるけれども、傲慢な欲望をかなえるためのチームのリーダーとしては、全くもって魅力に欠けます。

よく考えてみたら、自分が尊敬している人は、空気なんか読んでいない人が多い。読めない人もいれば、読んでない人もいる。どちらにせよ、KY です。Steve Jobs やラオウは、空気なんか読んでいません。

自分はとことん KY力を鍛え、尖っていくことにします。本当は何も考えなければ、自分はそういう人だと思う。何も遠慮はいらない。自分の KY っぷりを最大限に発揮して、傲慢に生きていこうと思います。

幸いにも、チーム全体として見た場合、自分が KY の極みになったとしても、その状態をサポートしてくれるバランサーが存在します。それぞれに得意な能力や最適なキャラクターが存在することを認め、いま自分がすべきことをやっていこうと思います。

空気読んでいる暇があれば、自分の空気を創る。それが創業者としての、リーダーとしての役目だと思う。